自然はこわいものだけど、とても美しいものでもあるんですね 大日方 伸【参加者の声】

IMG_6257
僕は東京で育って、「勉強できる人がすごい人、立派な人」っていう狭い考え方の中で生
きてきました、生きています。ある範囲の中で一番を目指すことにこだわってきて、その範囲の外を見ようともしてなかったです。
そんな自分に嫌気がさして、その範囲の外に出てみたくて、この小泉自然楽校に来ました。一人で夜行バスに乗ってゆらゆらやってくると、ここには本当の意味での
“自然”の生活が待っていました。食事から風呂までなにからなにまで自分達でやるし、朝晩はすごい冷えて寒い。トイレは一応あるけど僕らは基本森の奥で。
この生活から、僕は今まで周りに甘えすぎていたんだなぁと感じました。食器洗い一つにしても、どれだけ時間がかかって、大変なことか。自分でやらなきゃいけない状況で初めて気づくことができました。 これからはもっと自分で生きていける気がします。

ここからは被災地ボランティアとして。
二年経った今でも当たり前のように被災 地は被災地でした。がれきの山、うちあげられた船が残されています。
「ものは流されても心は流されません」
「津波のバカヤロー!」
「がんばっぺ。」
ところどころに書かれた落書きが頭に焼き付きました。 気仙沼のいろいろなところを回りましたがその中の一つを。 津波に襲われて周りが流され、ぽつーんと残されたホテルを見ました。壁は壊されて、鉄骨が抜き出ていました。津波の影響で200m近く海が陸側に伸びてきていて、それにすっかり浸っている状況でした。
このホテルの近くの水門を閉めようとした消防隊員二人が流されてしまったそうです。 気仙沼市で亡くなられた方の人数は二万人。「こうやってくくられた”二万人”の一人一人には生活と明日への希望があった」、そんな阿部リーダーの言葉が胸に刺さりました。 「明日なにしよ.かな.。」そんな何気ない希望も、一瞬にして消えてしまったと いうことを思うと、今の生活はどれだけ尊いものなのだろう。そんなことを思いました。
僕は明日サッカーがしたいです。
津波でえぐられた海岸の端に立って亡くなられた方々を思うと、自然と手を合わせて目を閉じていました。黙祷の意味を初めて知った気がします。
小泉自然楽校への帰りの車内で「周り暗いけど・・・・」って言われて気づきました。本当に暗いんです。津波で町がなにもかも流されて、後に残ったのは更地だけで、暗闇が広がっていました。 本当に暗いから、空の星がいっそう輝いて見えました。東京じゃあんなに綺麗な星は見
れないです。自然はこわいものだけど、とても美しいものでもあるんですね。僕たちの想像できる
範囲を超えたところに自然というものはあるんだなと感じました。 だから”防災”、自然を防ぐことなんて出来るはずもなくて、大切なのは来てしまう災害の被害をどう減らすのかということだと、思いました。 小泉自然楽校での生活はボランティアとは関係無いように思えます。しかし、「他人を助けるには自分を助けられないと無理だ。」という阿部リーダーの言葉に教えられたように、ここでの自給自足の生活が必ず他人を助ける活動につながるのだと思います。 一人でも多くの人にここに来てもらう、これが”減災”につながるのだと確信しています。ここで出会ったのは、まず一緒に活動した仲間で、泣き虫だけど真面目で努力家なオッツ、オーストラリアとのハーフで気さくで豪快なヒロ、ちょっと変わってるけど優しくて子供達に大人気なナオヤ、それから名古屋の大学から来てみんなとても優しくて話しやすいチエミさん、ユウコさん、マオさん、ミズホさん。東京、福岡、シドニー、大分、愛知。てんでバラバラな場所に住んでるけど同じ思いを持って来て、繋がれたこの絆はこれからも大切にしたいです。
また、小泉自然楽校のリーダーの阿部さん。本当にたくさんのことを教えてくれました。
そして様々な形で活動を支えてくださっている周りのおじいさんやおばあさん。とっても温かくて、聞かせていただいた話には涙が出そうになりました。
最後に、小泉自然楽校との交流で来ていた宮崎の小学校の子供達。分からないことがたくさんあったと思うけど、子供達は自分なりにちゃんと被災地を心にとめていました。 こんなにたくさんの人達と関われたこと、僕にとっての大きな財産となりました。 小泉自然楽校に来て、僕の世界は大きく広がりました。大谷にあった復興松が立派な大きな松となって笑顔にあふれた町を見渡せるようになる頃まで、僕はここに関わって復興を支えていきたいと思います。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。